認知症の介護 (回想27 )
あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
(聖書 第1コリント10:13)
元気だった頃は、日に二度三度と出かけるほど、散歩をするのが大好きでした。
ただ、黙って散歩に出かけてしまうので、大騒ぎになったことが何度もありました。
認知症がなければ、一人で散歩しても何ら問題はないのですが・・・
土地鑑がないうえに、疲れるまでどんどん歩くので、
自分がどこにいるのか分からなくなってしまうこともしばしば。
幸い、近所の方が見かけて、車に乗せて送ってくださったり、
「おばあちゃんが一人で歩いてたよ」 と電話をくださったり、
ある時は駐在所に保護されたりと、事あるごとに守られてきました。
おばあちゃんには 「外に出るときは必ず声をかけてね」 と頼んでいるのですが、
「はい、はい。」 と返事だけで、すぐに忘れてしまいます。
そこで、黙って外出するのを何とか避けるべく、
玄関と、おばあちゃんの部屋の掃き出し窓に、隠し鍵を取り付けることにしました。
けれども、このことが、おばあちゃんを激憤させてしまったのです。
今まで自由に開け閉めしていたドアが、びくとも動かないとあって、
玄関ドアにはめ込まれているガラスを杖でたたき、割らんばかりの剣幕でした。
心の中で、この状況を感謝して、
落ち着くことができるように、祈るばかりでした。
その時は、おばあちゃんを危険な目に遭わないようにするには、
こうするしかないと思っていたのですが・・・
今になって思うと・・・
おばあちゃんの尊厳を、深く傷つけてしまったかも知れないと反省しています。
もし、私がおばあちゃんの立場だったら、どうだろう・・・
当時は、そのようなことまで考えて行動する余裕がありませんでした。
きっと、この他にも、良かれと思ってしたことが、
実は、おばあちゃんにとっては、そうではなかったことが多々あったと思います。
けれども、認知症の故に、激怒したこともすぐに忘れてくれ、
まるで何事もなかったかのように、朝ごとに新しい一日が始まるのでした。
これにはほんとうに救われました。
至らない私が、何とか介護を続けられるように、
いつも助けてくださり、支えてくださった神様に、心から感謝します。 ハレルヤ!